寄稿:空気浄化を科学にする

九州大学大学院農学研究院教授(工学博士) 白石 文秀

第7回 境膜拡散抵抗を取り除くことの重要性

私どもが開発した空気浄化装置では、紫外線(UV)照射により生じる二酸化チタン(または酸化チタン注))の分解機能を利用します。すなわち、酸化チタンの光触媒機能を利用します。光触媒の空気浄化への利用にはいくつかの利点があります。一つ目は、分解反応が室温で起こることです。これは居住する室内で装置を安心して使用するために大変重要です。ただし、UVランプの多くは危険なので細心の注意が必要です。たとえば、UVの波長が320 nm(ナノメーター)よりも短いUV-BやUV-Cを長く目視すると失明する恐れがあります。私どもの空気浄化装置では254 nmのUVランプを使っています。このため、UVの漏れがないように設計されています。二つ目は、光触媒の反応選択性が低いことです。これは光触媒が多くの化学物質に作用し、分解することを意味しています。この特性により、光触媒は空気中に存在する様々な揮発性有機化合物(VOC)を分解することができ、その適用範囲が広くなっています。三つ目は、光触媒反応では害がほとんどない(または少ない)物質が生成することです。適切な条件で反応を行うならば、VOCの炭素原子は最終的に二酸化炭素となります。四つ目は、適切な反応場を作ってやれば、VOC濃度がほぼゼロまで低下することです。これを他の方法で行うのは容易ではありません。

日本では、2000年頃まで光触媒反応を応用する研究が盛んに行われました。しかし、そのほとんどが実用化されませんでした。主な原因は、光触媒の活性(反応性)がすぐに実用化できるほど高くないことにあります。おそらく研究者の多くは、二酸化チタン(または酸化チタン)にUVを照射しさえすれば簡単に触媒反応が起こると聴き、独自のアイディアに基づき実用化の研究を始めたものと推測します。しかし、二酸化チタンを適当な場所に置き、これへUVを適当に照射しただけでは光触媒反応は実用的な速度で起こりません。結果として、多くの企業の研究者が「光触媒は性能が低い、実用化できない」と断定し、研究から手を引いてしまいました。しかし、この結論は光触媒の反応性を最高のレベルに引き出した状態で性能評価を行わずに下されたものです。

私は長年にわたる光触媒の実用化研究を通して、光触媒の反応速度が主に二つの因子により抑制されていることを突き止めました。研究者はこれらの因子が引き起こす問題を除去し、光触媒が持つ最大の活性を引き出して実用性評価を行うべきです。このようにしても実用化に必要な条件をクリアできなければ、そのとき始めて実用化を断念するということになります。残念なことに、この二つの因子はほとんど理解されていません。研究者の多くは、酸化チタンの光触媒性能を引き出すための材料研究に躍起になっています。

私は1990年代初めに光触媒反応の研究に着手しました。直径3 cm、長さ20 cmのガラス管の内面を酸化チタンでコーティングし、その中にUVランプを挿入して簡単な反応器を作り、これを衣装ケース程度の大きさの容器に入れ、VOCを含む空気を反応管内に繰り返し通すことによりVOCの分解を行い、容器内のVOC濃度の変化を観察しました。残念ながら分解速度は遅く、とても居住空間の大量の空気へ適用できるものではありませんでした。加えて、初めは濃度低下が好調でも1 ppm以下になると低下しなくなるため、光触媒反応の実用化は無理だと思い始めました。しかし、大学の研究者は、得られた結果を最終的に論文としてまとめなければなりません。そこで、とりあえず管内を流れる空気の流速を上げてみることにしました。すると、流速が秒速3 m、4 m、5 mと大きくなっても分解速度はなお増加しました。そして、秒速10 m以上となったときようやく一定となりました。これは一体どういうことでしょうか。

私は化学工学という学問を修めていたため、ガラス管を固定化した光触媒周辺にほとんど動かない空気層があることをすぐに推測できました。この空気層は境膜(異なる分野では境界層)と呼ばれています。空気の流れる場や条件によって変わりますが、境膜の厚みは数十μm(ミクロンメーター)と言われています。この空気層内をVOC分子が移動し、光触媒表面に到達したとき初めて分解反応が起こります。VOC分子は、静止した空気分子に衝突しながら少しずつ前に進みます。よって、光触媒表面に到達するにはそれなりの時間がかかります。たとえば、縁日の人混みの中で遠くに友人を見つけたとき、その場所へ行こうとしても人とぶつかるためなかなか前へ進めませんね。これと同じです。VOCが移動するにはエネルギーが必要です。VOC分子は濃度差を推進力とします。濃度差をなくそうとして(均一濃度になろうとして)、濃度の高いところから低いところへ向かって移動します。これは高いエネルギーを低くして安定な状態を作ろうとしているのです。コップに入った水にインクを落とし、インクの塊が次第に広がっていく様子を観察したことがあると思います。これも濃度を均一にして安定化(エネルギーを最小化)しようとしているのです。このような物質の移動を専門的には“拡散”と呼んでいます。拡散するときの速度は、拡散物質の種類や拡散が起こる場の構成(たとえば、構成物質はなにか、液体か、気体かなど)により異なります。このとき生じる“拡散速度の大きさの違い”を説明するため、“拡散抵抗”という言葉を用います。たとえば、拡散速度が小さいのは拡散抵抗が大きいからだというように理由付けします。すなわち、境膜内をVOCが移動する際の拡散抵抗は、上述の光触媒の反応速度を抑制するとても大きな因子なのです。

しかし、私が学んだ化学工学では、気体が作る境膜内を物質が拡散する際の速度(ここでは、静止した空気層内を拡散するVOCの速度)は迅速であり、拡散抵抗は通常無視できると教えられます。このため光触媒反応において拡散抵抗はまったく注目されていませんでした(実は、化学工学では工業的反応操作が対象であり、反応物は常に高濃度であるため、拡散抵抗を無視できることが多いのです)。上述の実験で私が観測した、空気流速が十分に大きくなるまで分解速度は最大値を示さないという現象は、明らかにこの常識に合致しません。そこで、VOCの境膜拡散を考慮した光触媒反応モデルを作り、理論的な解析を行いました。その結果、光触媒の応用が多く検討される環境の場では、有害物質の濃度が低く濃度差がとても小さくなるため、拡散速度が著しく小さくなり、結果として気相反応であるにも関わらず拡散抵抗が著しく大きくなることが明らかになりました。

この境膜拡散という現象は、他の研究者、とくに化学工学の知識がない者にとっては絵に描いた餅に見えるようであり、また理解しようと努めても正しく理解できないようです。私は2000年頃、光触媒反応を利用するプロセスを実用化するには、この現象を十分に理解した上で装置製作に当たる必要があることを多くの講演会で説きました。ある日、私の講演を聞いて空気浄化装置を製作したという大手の会社の研究者から連絡を受けました。テストを行ったが、どうしても満足できる性能が出ないので、来社して相談に乗ってくれと頼まれました。研究所には、1辺の長さが50 cmくらいの四角形の多孔質の平板3枚を上下平行に並べ、そこにできる2つの隙間にワット数の大きなUVランプを5本ずつ等間隔に挿入して固定した試作装置がありました。多孔質平板の表面は分厚い酸化チタンの膜で覆われていました。ファンが回ると空気は平板に対して直角に流れて孔内を通り、このときVOCを酸化チタンに吸着させ、これを光触媒により分解するという仕組みです。一見したところ無駄がなく理にかなった装置のようであり、光触媒反応器を実用化する場合、誰もがこのような構造にたどり着くであろうと思われる構造です。研究責任者によれば、大量の空気処理を可能にするため、私の装置の10倍以上の光触媒面積と、ワット数の大きなUV光源を何本も使っているが、光触媒の使用量も光源のワット数、本数も少ない私のコンパクトな光触媒反応装置よりもVOCを分解するのに長い時間がかかってしまい、これがなぜなのかがわからないというのです。私は、彼が私の話を正しく理解していないこと、本構造では境膜拡散抵抗が取り除かれず、分解速度がかなり低くなっていることを指摘しました。その後、どうなったかは知りません。本装置の構造には、境膜拡散抵抗とは異なるもう一つの光触媒の反応性を低下させる因子が含まれていますが、これについては次回お話しします。

このように、光触媒利用プロセスの実用化では、光触媒反応の特性を正しく理解し、使用した光触媒の最大の活性を引き出してやる必要があります。もし、このような状態で反応させたにも関わらず満足できる活性が得られないならば、勇気をもって実用化をあきらめなければなりません。

光触媒を空気浄化に利用しようとする場合、その分解活性が低いことに加え、VOCを低濃度で含む大量の空気をある限られた時間内に処理しなければならないという難題が課されます。光触媒を使って室内空気を浄化する際に最も多く行われてきたのは、酸化チタンを室内の壁などに塗布して利用する方法です。しかしながら、この場合、どのようにしてUVを酸化チタンへ照射するのでしょうか。太陽光を利用する方法が考えられますが、太陽はいつでもどこでも利用可能ではありません。室内照明の利用が考えられますね。残念ながら、一般に室内で用いられている白色蛍光灯はUVを数パーセントしか放出しません。また、危険で常識外れですが、天井にUVランプを設置し、これを使って壁の光触媒を活性化させようとしても、VOCを分解するだけの光強度を確保することができません。さらに、空気中を浮遊するVOCは、いつになったら壁の光触媒へ到達するのかという問題があります。すべてのVOC分子が光触媒に接触するのに長い時間がかかりますし、その間にもVOCがどこからか放出され、結局いつまでたっても濃度が低下しません。運良くある程度の低い濃度となっても、この方法ではVOC濃度がゼロ近傍まで落とすのは困難です。加えて、光触媒近傍に生じる境膜拡散抵抗が分解速度を低下させます。

空気を浄化する場合、消費者はある限られた時間内に、VOCをある濃度以下にしたい(害にならない程度の濃度まで処理したい)と考えるでしょう。この要求に答えるには、部屋の空気を強制的に集めて装置内に取り込み、空気中のVOCが光触媒と接触する機会をできるだけ多くすることが必要です。いずにせよ、大量の空気中に含まれる低濃度のVOCを処理しなければならないことが空気浄化を非常に困難なものにしています。

(令和2年7月28日)

注)私どもは二酸化チタンを過酸化水素水に溶かして光触媒コーティング液を作ります。これを固体材料に塗布して加熱すると、簡単に固定化光触媒を作ることができます。このとき、チタン原子と酸素原子の比率は1:2でなくなります。よって、私どもは使用する光触媒を酸化チタンと呼んでいます。または、過酸化チタンと呼ぶこともあります。

寄稿|白石文秀教授(工学博士)
所属
九州大学大学院農学研究院生命機能科学部門
   システム生物工学講座 バイオプロセスデザイン分野
     (兼任)イノベーティブバイオアーキテクチャーセンター
     システムデザイン部門 バイオプロセスデザイン分野
HP
http://www.brs.kyushu-u.ac.jp/~biopro/


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